# 長いです…
# このポストは 2007/05/14(月) の日付でアップロード
# しましたが、2009/02/14(土) に書きました。
# 2009/04/27(月) に手荷物預かり所に関する記述を詳
# 細に書き直しました。
もう 2 年も前のことですが、神宮の式年遷宮の御木曳き行事に、一日神領民として参加してきた時の旅行記です。
有給休暇を 1 日取って、2007/05/12(土)-05/14(月) に 2 泊 3 日で行ってきました。非常に古い話なのですが、ぜひ旅行記を残して起きたいと思える行事なので、いまさらながらポストします。
初日
交通手段は新横浜から新幹線です。朝ごはんは駅弁を買いました。私は横濱オムライス、妻は日本の味博覧という弁当です。
横濱オムライス弁当
日本の味博覧弁当
名古屋からは近鉄特急です。伊勢志摩ライナー車両が充てられる列車を選んで予約しました。
伊勢志摩ライナーと奥村
名古屋から 1 時間 16 分で、宇治山田駅に到着です。近鉄宇治山田駅は、建築された時代の雰囲気を伝える非常に立派な駅舎です。
宇治山田駅駅舎
宇治山田駅にはイカした顔ハメがあったので、妻と一緒に写真を撮ってみました。
お伊勢参り顔ハメ
今回の宿は、伊勢の古い街道沿いで、歓楽街であった古市というところに残る、麻吉という宿です。宇治山田駅からはバスでも行けますが、荷物が多いので、タクシーで向かいました。10 分弱で到着しました。
古市は起伏のある地形です。麻吉は街道沿いから横方向へ、その起伏を生かすように、下り斜面沿いに、階段状に建物がつくられた、非常に面白い構造をしています。
麻吉旅館
お木曳装束で麻吉旅館前の道を歩く妻
非常に歴史的価値のある建物で、登録有形文化財でもあります。
登録有形文化財のプレート
文化財らしさを感じるところも色々あります。
趣のある下足箱
立派な最上階の広間
証明器具
広間前の踏込みからの眺め
客室の 1 つ
道路をまたぐ空中廊下
かつては、政治家などの宿ともなった歴史があります。それを示す標識もありました。内大臣、枢密院などとあるので戦前であることは間違いありませんが、それもかなり古い時代、明治の頃のもののような印象を受けました。
内大臣閣下・司法大臣閣下・枢密院議長・副議長御旅館
古い建物なので、天井が低かったりします。特に階段のところの天井が低くて、なんども頭をぶつけそうになりました。
天井が低い階段部分
他の階段も急です。
急な階段
お風呂はかつてどのようになっていたのかわかりませんが、現在は少し広めの風呂と、一般家庭にでもありそうな広さの風呂の 2 つがそれぞれの階にある 2 階建ての風呂のためだけに増築したらしい部分にあります。初日は上下の風呂は両方使われていて、上の少し広い風呂は男湯、下の狭い風呂を女湯としていました。2 日目は、我々しか宿泊客がいなかったようで、下しか沸かさないので、2 人とも下の風呂を使ってくださいと言われました。上の風呂は建物から直接入っていけますが、下の風呂は、一度屋外の通路を通って行く必要があります。
お風呂場への道
おそらくこの建物ができた当時は、薪を使って焚く風呂があったものと思われますが、昭和の初期などに古市が廃れていった時期に、維持の簡単なこのような風呂を建て増したのではないかと思います。正直言って、風呂自体も、風呂へのアクセスもよくありません。なんとか改善してもらいたいところです。
麻吉に到着した時間は 12 時過ぎと早かったのですが、チェックインさせてくれたので、荷物を部屋に置くことができました。
身軽になったので、麻吉旅館のすぐ近くにある中之町バス停から、バスでおはらい町へ移動します。
中之町バス停
バスは比較的小型のバスですが、旧街道の狭い道を走ってくると大きく見えます。私は中学 1 年生まで伊勢に住んでいたので、この三交 (さんこう = 三重交通) バスのカラーリングはとても懐かしい感じがします。この写真ではわかりませんが、車体の後ろの屋根の部分に突き出すように広告版がついているのも三交バスの特徴です。今回の旅行でバスの後姿を見るたびに「他の地域のバスを見た時と違って、なんとなく懐かしい形のような感じがするのは何故だろう?」と思っていたのですが、相模原に戻ってからこちらのバスを見て、他の地域にはあれがないのか、と思いました。
浦田町 (おかげ横丁) 行きのバス
そして、妻が楽しみにしていたおかげ横丁に到着です。
伊勢うどん、豚捨のコロッケを食べました。
おかげ横丁
伊勢うどん
豚捨のコロッケ
豚捨のコロッケを食べる妻
おかげ横丁から出て、おはらい町でもさらに食べます。
ソフトクリーム
卯の花ドーナツ
伊勢は色々独特な食べ物があって楽しいです。内宮参拝は別に予定しているので、ごく最近神宮参拝の風習になった二見興玉神社での浜参宮に行くため、CAN バス (キャンバス) という周遊バスで、浦田町のバス停から
二見へ移動です。
CAN バスは、途中伊勢・安土桃山時代村 (元・伊勢戦国時代村) にも寄ります。なんとも不思議な施設です。お客さんはほとんどいなかったので、そのうちなくなってしまうかも知れませんが、安土城を模した天守閣は、な
くなる前に中に入ってみたいです。
伊勢・安土桃山時代村と安土城模擬天守
二見のバス停から、二見興玉神社へ向かう途中に、御福餅の店がありました。おはらい町にある赤福本店同様、立派な店構えです。
御福餅
二見興玉神社にはお木曳に参加するために事前に浜参宮を済まそうとしているらしい人が団体で来ていました。私と妻は、その大勢の中に 2 人でまざって浜参宮を済ませました。
二見興玉神社というのは、有名な夫婦岩のあるところです。インターネットで見かける夫婦岩の写真は、正面からの写真ばかりで、同じ構図ではつまらないということで、あえて横方向から見た写真を載せて見ました。
横から見た夫婦岩
二見からは、JR で伊勢市駅へ、駅からは、再びバスに乗って古市へ戻ります。
JR 二見浦駅は、私の覚えていた駅舎とは全然違う、なんとも二見らしくないモダンなスタイルの駅舎になっていました。
JR 二見浦駅
列車を待っていると、やってきたのは快速みえでした。普通のディーゼルカーよりちょっと豪華な内装なので、得した気分です。
快速みえ
麻吉旅館の 1 泊目は 2 食付だったので、夕食は旅館で食べました。
麻吉旅館の夕食
2 日目
2 日目は、いよいよお木曳に参加する日です。麻吉旅館で朝食をとり、身支度を整え、バスで出発点へ移動します。
麻吉旅館は空中廊下を渡った反対側にある新館らしい建物の最上階に食堂があり、朝食はそこでとりました。大学の合宿所の食堂みたいな、長机と簡素な椅子があるだけのところです。別館側の最上階なので景色はいいのですが、麻吉旅館らしさは全く感じられません。朝食自体はごく標準的なものでした。
麻吉旅館の朝食
1 日神領民の曳く御木引き車は 3 台出ていました。写真は、そのうち 2 台目と 3 台目です。
お木曳車
お木曳車の前に 2 本の引綱があります。参加者は受付時に 4 つの班にわけられます。参加章の木札には首にかけられる紐がついていますが、そこに班別に応じて玉の数が 1 つから 4 つついています。
開始時間の少し前に、高柳商店街というアーケード商店街の中に、班別に列を作って 4 列に並びます。そのまま 4 列で並んだまま進み、お木曳車の前に整列しなおします。そこでお木曳車につけられたスピーカーを通して、お木曳の時の合図や、注意点の説明を受けます。伝統行事だからと言って説明を肉声でやる必要はないと思いますが、かといって、お木曳車の本体にスピーカーがついているのは、なんとなく違和感を感じました。
その後、2 本の引綱を伸ばします。綱の左右にそれぞれ 1 列がついて綱を伸ばしていきます。伸びきったところで人と人の間隔を調整して、お木曳の開始を待ちます。引綱はかなり長くて、おそらく 100m 近くあったと思います。我々はその中でも比較的先頭に近いところの場所を曳くことになったため、整列すると、お木曳車がほとんど見えないぐらい離れています。
お木曳準備で整列中。お木曳車は見えません
お木曳開始前に妻と記念撮影
しばらくすると合図がってお木曳開始です。しかし、これほど前の方だと、お木曳の車の重さを感じる事はまったくなく、綱を持っているのはまったく儀式的なものです。
お木曳に参加する奥村
お木曳に参加する妻
お木曳は非常にゆっくりしたペースで進みます。さらに途中で止まっては木遣り歌を歌うので、全然進みません。昔の人にとっては、これがたぶんとても面白いエンターテイメントだったのでしょう。木遣り歌は当然一日神領民では歌えないので、伊勢の人が歌います。高校生ぐらいの人がたくさん参加していました。
NTT を過ぎたあたりから、綱を頭上に掲げて「エイヤ曳き」という曳き方をするらしいのですが、我々を含め、一日神領民の多くはどうやればいいのかわかっていないため、なんとなく消化不良な感じで外宮に到着してしまいました。
式年遷宮は海外メディアにとっても珍しいのか、到着点には、フランス語をしゃべるテレビカメラクルーが取材していました。
外国のテレビカメラ取材クルー
曳き終わったお木曳車は、すぐにフォークリフトで保管場所へ引っ張っていかれてしまいます。妻と 2 人であわててお木曳車の前へ行って記念撮影をしました。
曳き終えたばかりのお木曳車と記念撮影
その後、同じお木曳車を引いた方々と一緒に、外宮を参拝します。御垣内参拝で、普通の拝殿より 1 つ内側まで入ることができます。
外宮正宮
非常にすがすがしい気分になりました。
一日神領民としての行事はこれで終りです。帰ろうとしていると、保管場所となっている駐車場にお木曳車があったので、あらためて記念撮影をしました。
お木曳車と奥村
お木曳車と妻
さらにおもてなしコーナーという休憩場所があって、色々記念品などをいただきました。
岩戸屋餅
お木曳ラベルのお茶
伊勢タオルハンカチ。また来ます
赤福餅
その後、一度麻吉旅館に戻って着替えてから、内宮に参拝に行きました。この日もおかげ横丁に行きました。この日のメニューは、豚捨の牛丼です。付け合せにサラダも食べました。すき家や吉野家などメジャーチェーン店の牛丼とはかなり違った味付けです。おいしくいただきました。
豚捨のサラダ
豚捨の牛丼
最後に内宮参拝に行きました。
宇治橋前で記念撮影
五十鈴川の手水場
内宮正宮
内宮参拝を無事終えて、再びおはらい町です。お土産を買うのがメインでしたが、また甘いものを食べてしまいました。
さっ栗パイ
宇治金ソフト
麻吉旅館に帰って、ご飯です。2 泊目は朝食のみとしていて、伊勢で何か美味しいものを食べようと言っていたのですが、あまりよい店を見つけることができず、結局さんまの押し寿司と、おかずを数品買ってきて、部屋で食べました。
夕食のさんま寿し
デザートに虎屋のういろを食べました。伊勢に住んでいた頃からの私の好物です。ういろは全国で売っていますが、私にとっては、この伊勢の虎屋のういろが最高のういろです。
虎屋のういろ
3 日目
3 日目は基本的には帰るだけです。朝食は 2 日目とは違う部屋でした。和室で、こちらの部屋の方が落ち着いて食べることができました。
朝食部屋
朝食
麻吉旅館をチェックアウトして、伊勢市駅へ移動し、伊勢市駅のレンタサイクル屋さんにある手荷物預かり所に大きな荷物を預けて、列車の時間まで懐かしい伊勢の街を歩いてみました。
JR 伊勢市駅
伊勢市駅は「伊勢駅」ではなく「伊勢市駅」と駅名に「市」が入る珍しい駅の一つです。駅舎の中にはコインロッカーもありました。建物の中の、正面から駅舎に向かって左の端の方、上の写真の伊勢市駅という看板の真下の裏側あたりにあります。しかし我々がもっていた荷物は大きくて入りませんでした。駅員さんに確認すると、駅レンタサイクルで手荷物預かりをやっているということで行ってみました。正面から駅舎に向かって右手の方向に少し行ったところにあります。
レンタサイクル屋さん兼手荷物預かり所
荷物 1 つにつき 1 個 1 日 400 円でした。スーツケースが 2 個と、PC を入れたかばんがあって、預けたい荷物が 3 つあったのですが、係りの人が「他のかばんに入れてくれれば、あわせて 1 個でいいよ」と言ってくれたので、そのようにした結果 2 個になり、800 円で済みました。
まずは、ぱんじゅう屋さんです。伊勢市駅前には、以前七越ぱんじゅうという店があり、ここのぱんじゅうがとてもおいしかったのです。残念ながら七越ぱんじゅうは閉店してしまって現存しないのですが、七越閉店後に、他にぱんじゅうを売る店が何店か出来ました。そのうちの 1 つ、三ツ橋ぱんじゅうという店で、ぱんじゅうを買って食べました。三ツ橋ぱんじゅうが特にお勧めというわけではなく、単に駅に一番近い店だったのでここにしました。
ぱんじゅうと、三ツ橋ぱんじゅうの店
次の写真は、私の出身校である、伊勢市立厚生小学校です。現在の校舎はかなり新しくなっていて、私が通っていた頃とは全然違います。しかし、校舎の前に立ってい大きなけやきの木は、私が通っていた頃からそこにあって、この学校のシンボルとも言える存在であった木です。
厚生小学校と奥村
学校の近くには、小学生の頃は「つきよみさん」と呼んでいた、外宮の別宮「月夜見宮」があります。月夜見宮のまわりは、神社なのになぜか水堀があり、そこは小学生だった私にとって遊び場の 1 つでした。
月夜見宮
このあたりで時間となりました。伊勢市駅からは JR の快速みえで名古屋へ出て、名古屋からはぷらっとこだまを使って新横浜経由で相模原の我が家へ戻りました。
名古屋駅で駅弁を買って、帰りのこだまで食べました。
妻の名古屋満載名古屋味巡り弁当
私のひつまぶし弁当
私は幼少期を伊勢で過ごしたこともあってか、神社の空間が好きです。それぞれのお祭りの持つ意味が理論的にとか、歴史的にとかいった意味で正しいとか正しくないとか言うこととは関係なく、今回参加したお木曳のようなお祭りのもつ雰囲気も好きです。そういう気分を満喫できた旅行でした。
沢山食べましたね。
私も伊勢神宮の空気は大好きです。
おかげ横丁のワクワク感も大好きです。
次回も食べ残しのないよう頑張ります。
> あんぱんちさん
伊勢に住んでいた時は当たり前と思っていたのですが、
他の場所に住んでみると、伊勢の食べ物のユニークさに
は驚きます。また色々食べに行きたいです。
カキ氷の高さがえらいことになってたお店だっけ…? <ぱんじゅう屋
虎屋のウィローは、虎ウィローが外せませんです、はい。
松阪や、伊勢湾岸道刈谷にもありますが、大抵遅い時間の移動になる関係で、売り切れてて買えない場合が多いのですよ。
式年遷宮って20年だかに1回、本殿?かなにか、メインの建物を脈々と建て替えてる、って行事だよね?調べてみると、H25年に本チャンなのに、今から2年前から既に準備があるのね。流石1300年の歴史はすごいね。
ところで、赤福って、もう元の様に復活したのかな?
> ぎんぎすさん
なんかそうらしいですね。伊勢に住んでいて、七越には
何度も行っていたので、きっと食べたことがあると思う
のですが、カキ氷は覚えがないんですよね…
> くくつさん
式年遷宮は、正宮だけでなく、鳥居や橋などを、末宮な
どと呼ばれる小さな社なども含めて全て立て替えます。
末宮は、正宮で使っていた木を再利用したりします。今
回の旅行記は 2 年前、2007 年の行事ですが、2006 年
にも同じお木曳行事が行われ、その木は、さらにその前
に切られていて、さらにその前には、切り出す木を選ん
だり、切り出し作業の安全を祈願する行事があったりと
色々で、10 年ぐらい前から準備が行われます。
今回の遷宮では、あと、白石持という行事があって、こ
の旅行記で書いたお木曳行事同様、一般参加 (一日神領
民) の募集が行われるはずです。前回同様、遷御が行わ
れるのと同じ年 2013 年の初夏に行われるものと思われ
ます。
赤福の店は、元のように復活しました。でも、以前と
違って遠隔地での販売は完全に停止してしまったところ
が多いようです。「この商品は冷凍輸送して解凍したも
のです」と説明をつければ、従来同様に遠隔地でも売っ
ていいように思いますが… 最近、マスコミにとりあげ
られるような事件になると、それに対する企業の対応が
必要以上に萎縮した対応になっているような気がして、
ちょっとイヤ~な感じです。