前日 2008/12/26(金) の夜遅く宮崎入りし、この日 2008/12/27(土) から 4 日間は宮崎で過ごします。
最初の日の朝は、妻の実家近くにある平和台公園へ行きました。公園内にある「森のレストラン平和台」という自然食バフェの店でブランチをするためです。この公園には平和の塔があります。八紘一宇の塔という名前での方が有名かも知れません。
平和の塔 (八紘一宇の塔)
自然食レストラン前では宮崎産農産物の販売会が行われていて、テレビ局の取材が来ていました。
農産物販売会を取材するテレビ局のカメラ
母は以前この場所で餅つき大会があった時に飛び入り参加して、その場に取材に来ていた NHK にインタビューを受けて放送されたことがあります。母は今回もテレビに映ろうと少しうろうろしていましたが、残念ながら今回はインタビューは受けませんでした。
店内は中央にキッチンがあり、その周囲を取り囲むようにカウンターがあって、カウンターに料理が並べられています。
森のレストラン店内
我々の食べた料理の数々です。2 皿しか写真を出していませんが、もちろん実際に食べた量はこんなものではありません。
我々の食べた料理 (一部)
デザートは食べ放題に含まれていますが、他の料理と違って 1 品しか取れません。入店時に葉っぱを 1 枚渡されるのですが、その葉っぱがデザートの引き換えチケットになります。
アップルケーキ
チーズスフレ
レストランを出たところにある売店ではアイスクリームを売っていました。ご飯を食べてデザートも食べたところなのでまさか買う人はいないと思っていたら、ちゃっかり買って食べている人がいました。
ソフトクリームを食べる母
さて、この日は私の両親が初めて宮崎へ来る日でもあります。大阪伊丹空港から飛行機で来るので、宮崎空港まで迎えに行きました。
宮崎空港に到着した両親と妻
そして妻の母方のお墓にお参りさせてもらいました。
お墓参り
どうしてもやらなければならない用事は今日はこれだけで、あとは観光です。といっても両親ともあまり観光に興味がなく「どこへ行きたい」と聞いても適当な返事しか返って来ません。ということで私と妻で行先を決めてずんずん移動していきます。最初の目的地は宮崎神宮です。
宮崎神宮
母はヒザや股関節を痛めているため、普段あまり歩かないのですが、気分が高揚しているのかこの日は元気に歩いていました。宮崎神宮は駐車場から拝殿までそれほど遠くありませんが、母にしてみれば神社の砂利道をこのぐらいの距離あるいたのは久しぶりなのではないかと思います。
結局この日の観光はこれだけで、その後、妻の実家に立ち寄った後、ホテルへ向かいました。両親のホテルは豪華にシーガイヤにある、シェラトン・グランデ・オーシャン・リゾート・ホテルです。まぁ、航空券とホテルがセットになったパッケージツアーなので、実際それほど高くないのですが、ホテルの建物自体はやはり豪華でした。
シェラトン・グランデ・オーシャン・リゾート・ホテル
客室はオーシャンビューです。手前にゴルフ場や森があり、その奥に日向灘が広がります。
客室からの眺め
客室で記念写真におさまる両親
最上階にはチャペルがあります。結婚式などで使っている時間以外は見学できるということなので、見せてもらいました。
最上階のチャペル
父はかなりうれしそうに写真やビデオを撮りまくっていました。
チャペルからの風景のビデオを撮る父
チャペルで記念写真におさまる両親
夕食は、宮崎市の中心部にある居酒屋、魚筍 (ぎょしゅん) に行きました。
紙のマットがいい感じ
この店の玉子焼きは、なぜかひろ君のだし巻卵といいます。妻の母は私のことを「ひろ君」と呼ぶので、商品名のことでひとしきり突っ込まれました。
ひろ君のだし巻卵
居酒屋に行ったのに、今回のメンバーは誰もお酒を飲みません。店にしてみれば一番儲けの出るお酒を買ってくれない客なんて困った客なのでしょうが、そのかわり、たくさん食べました。お酒を飲まないのでいきなりおにぎりを頼んだりしました。お酒を飲む人は滅多に頼まないメニューだと思いますが、この魚筍さんのおにぎりはとてもおいしかったです。お酒を飲む人にもお勧めです。
おにぎり
刺身
サラダ
チキン南蛮
焼き魚
暗くてうまく写真が撮れませんでしたが、他にも刺身の盛り合わせ、あげみ、とり軟骨の唐揚げ、アラ煮などを頼み、満腹してお店をあとにしました。魚筍さんは料理も美味しいし、居酒屋なのにお酒を飲まない我々のような客をちゃんともてなしてくれるし、非常によいお店で、お勧めします。
満足して橘通りを歩く母、妻、妻の母
両親をホテルに送り届けてから、我々は妻の実家へ戻りました。前日 2008/12/26(金) の母の誕生日のために買ったケーキの残りがあったので、デザートにいただきました。
母の誕生日ケーキ
明日 2008/12/28(日) は、今回両親にも宮崎へ来て貰った最大の理由である、妻の父の納骨のため、都城へ向かいます。