東京国立博物館 (トーハク) で 2015/10/14(水) – 12/23(水) で開催されている「伊能忠敬の日本図」展を、20:00 閉館の金曜日に見に行こうと思っていて、2015/10/30(金) に早速行ってきました。
オフィスを出るのが少し遅くなり、到着したのは 19:30 頃でしたが、平成館 1F の展示室 1 室、展示点数 15 点の小規模な企画展なので、30 分あれば十分に見ることはできました。
東京国立博物館の通常展なので、当然写真撮影許可です。それどころか展示会を紹介する web ページには「ズーム付きデジカメ持参をおすすめします」と書かれています。日本中の博物館がこういう当たり前の対応をするようになってほしいものです。
展示は中図が 4 枚、大図が 3 枚、関連展示が 8 点です。以下の写真は、見栄えのする中図 4 枚です。基本的に海岸線といくつかの街道沿いだけしか測量できていないなど、現代の地図とは比べるべくもないものなのですが、当時の状況を考えれば、どれも素晴らしい地図です。
細かい部分を単眼鏡で見ても、破綻がなく、非常によくできています。以下の写真は北海道東部の中図の、野付半島付近をズームして撮影したものですが、測量と製図の目標とした地形への方向を示す補助線なども大きくして見るとよくわかります。
展示で他に面白かったのは、関連展示にあった坤輿万国全図屏風です。ヨーロッパ人が中国で描いた地図を江戸時代に模写して日本語で地名などを書き入れたもののようですが、当時のヨーロッパの世界観を現しています。
この地図に私が興味を惹かれたのは、南北アメリカがまぁまぁ悪くない形で描かれているのに、オーストラリアが影も形もないことです。大西洋という大きな壁 のあるアメリカ大陸にたどり着いていたヨーロッパの船隊が、島伝いに行けば相対的に容易にたどり着いたであろうオーストラリアを知らなかったのだろうか? という疑問があったからです。Wikipedia を見て見ると、アメリカ大陸はコロンブスにより 1492 年に「発見」されていますが、オーストラリアが発見されるのは 1606 年なので、100 年ほど後のことです。この地図自体は 1606 年以降に描かれていますが、この地図が模写の対象としている Matteo Ricci の地図が描かれたのは 1602 年とされているので、その時点では、オーストラリア大陸の存在は知られていなかったということになります。東南アジアの南の方に、文字の書かれた、現代の 知識であえて言えば南極大陸から北に伸びた半島のようなものがあります。この模写をした人はおそらくここを地形の一部とは思っていないのではないかと思い ますが、元になった Matteo Ricci の地図ではもう少し地形っぽく描かれています。その時点では、そこに何らかの土地があることは知っていたものの、周囲を海に囲まれた大きな島、つまり、1 つの独立した大陸であるという知識がなく南方にある未知の島 (南極大陸) の半島だと考えられていたのではないかと思いました。
東京国立博物館での伊能忠敬の日本図展は昨 2014 年に引き続き、今回で 2 回目です。前回も見たのですが、展示されている地図はすべて異なるので、今回も見ごたえがありました。来年もおそらく弟 3 回が開催され、また別の伊能図が展示されると思うので、また見に行こうと思います。