2016/05/15(日) MEET THE BEAT 2016

MEET THE BEAT 2016 (MTB) に行って来ました。

今年は日曜日がたまたま 5 月 15 日だったので、ビート発売日当日の開催となりました。1991/05/15 発売なので、開催日の 2016/05/15(日) は、ビート 25 歳の誕生日です。

毎回 MTB に参加する度に、受付締切ぎりぎりの時間に到着しているのですが、受付開始前に行こうと 02:00am に相模原を出発しました。途中眠くて佐野 S.A. で 1 時間ほど寝てしまいましたが、それでも受付開始時間の 07:30am には余裕で間に合う時間になり、時間調整のために、道の駅もてぎに立ち寄りました。

同じように入場時間を待つ MTB 参加車両が大量に駐車していて、さながら、この道の駅もてぎがビートのオフ会会場というような感じです。以前他の参加者から、入場時間前の道の駅もてぎはそんな感じになると聞いていたので状況は知っていましたが、実際に見ると、なかなかすごいものがあります。

ビートのオフ会会場にしか見えない道の駅もてぎ
ビートのオフ会会場にしか見えない道の駅もてぎ

時間がさらに近づいたところでツインリンクもてぎのゲート前まで移動しました。ツインリンクもてぎ自体のゲートオープン時間が 07:30am なので、ゲート前に行列していますが、待っている車は、ほんの 1、2 台を除いてすべてビートでした…

大量のビートが開門待ちをするツインリンクもてぎ北ゲート
大量のビートが開門待ちをするツインリンクもてぎ北ゲート

時間となって入場。写真で全体の 1/3 ぐらいが入場し終えたぐらいです。

MTB 会場入場直後
MTB 会場入場直後

ウルトラ警備隊がいました。

ウルトラ警備隊ビート
ウルトラ警備隊ビート

ほぼすべてのビートが入場を終えた状態の全体像です。

MTB 2016 会場全体像
MTB 2016 会場全体像

開会式。ビートオーナーである GT ドライバーの塚越広大選手が数年ぶりにゲスト参加で、挨拶されていました。

GT ドライバーでビートオーナーの塚越広大選手
GT ドライバーでビートオーナーの塚越広大選手

そして毎年参加してくださる、ビートのエクステリアデザイナーだった石橋豊さんです。手にしておられるのは、ビートの LPL (開発主任) であった飯塚氏の写真。残念ながら今年お亡くなりになったそうです。

ビートのエクステリアデザイナー、石橋豊さん
ビートのエクステリアデザイナー、石橋豊さん

この日のロードコース (西コース、という名前になると思います。途中のショートカット経路を使ってメインストレート → 1 コーナー → 2 コーナー → 3 コーナーを左に曲がらすショートカットコースへ → 最終コーナーという短いコース) を使って、旧車の走行会が行われていました。年代別に走行時間を設けて走っていたようですが、こんなクラシックな車も走っていました。

旧車走行会でツインリンクもてぎロードコースを走るクラシックカー
旧車走行会でツインリンクもてぎロードコースを走るクラシックカー

途中、石橋さんと塚越選手のトークショーがありました。その会場はコントロールタワー 1F のブリーフィングルームです。MotoGP などを見にくると、マルク・マルケス選手や、バレンティーノ・ロッシ選手などが走行前のブリーフィングに参加したり、レース後の記者会見を行ったりする部屋で、そういったイベントでは一般の人は入れない部屋なので、そこに入れたのはちょっとうれしかったです。

MTB 2016 トークショー会場はコントロールタワー 1F のブリーフィングルームでした
MTB 2016 トークショー会場はコントロールタワー 1F のブリーフィングルームでした

そして今年の MTB のメインイベントである、ロードコースのパレードランです。参加した 300 台強のビートで、ツインリンクもてぎのロードコースを一周します。まずはホームストレートに車体色別に整列し、記念写真を撮ったりします。

ツインリンクもてぎロードコース・メインストレートに整列した MTB 2016 参加ビートたち
ツインリンクもてぎロードコース・メインストレートに整列した MTB 2016 参加ビートたち
パレードラン出発直前
パレードラン出発直前

パレードランは 3 列で走りました。私は真ん中の列だったのですが、コーナーでは右にも左にも別のビートの列があり、それらの車がイン側べったりを走ってくれなかったり、アウト側は内側に切れ込んできたりして、思ったより窮屈な感じで、左右両方に気を配りながら走る必要がありました。

この日のツインリンクもてぎロードコースは西コースは先ほど書いたように旧車走行会が行われていて、東コースではオートバイのスポーツ走行が行われていました。パレードランは、これらの関係ないイベントの主催者と交渉して、12:00 ~ 13:00 の 1 時間ちょうどだけフルロードコースをお借りして行ったのですが、退場に時間がかかってしまって、終了は 13:00 を少しオーバーしてしまいました。旧車走行会の皆様、オートバイスポーツ走行の皆様、ご迷惑をおかけしてすいません… (1 参加者である私にはどうしようもなかったことですが…)

パレードランは車体色別に順番に並んで行います。そのまま退場してきて駐車場に順番に入るので、結果として駐車場に並んでいるビートが色別にまとまった状態になります。イベント開始時の色がばらばらな状態もそれはそれでよいのですが、色がそろったこの状態もなかなか壮観です。

車体色別に行ったパレードランから戻ってきた後の駐車場は色別にビートが並んだ状態になります
車体色別に行ったパレードランから戻ってきた後の駐車場は色別にビートが並んだ状態になります

あとは抽選会があってイベントは終了です。

MTB の帰り、いつもビートばかり走っている中を帰ることになるはずと思うのですが、今年もツインリンクもてぎを出て 3 つ目ぐらいの信号ではすでに前後に他のビートがいない状態になってしまいました。沿道で見ていると「今日はビートが多いな」と思うのだろうとは思いますし、高速道路の S.A.、P.A. に入ると、ビートがワラワラと停まってたりして、「あぁ、MTB 帰りだな」と思うのですが、走っているとほとんど毎回、帰りに前後の近くをビートが走っている姿はほとんど見かけません。あれだけの数のビートが集まるのに、毎回不思議です。

来年以降の MTB は当面パレードランなしで行われると思うので、次回の参加はおそらく次にパレードランが行われるであろう、ビート 30 周年の 2021 年かなぁ…

2016/05/04(水・祝)~05/06(金) 両親 + 姉が奈良からやってきた

2016 年のゴールデンウィークは、4 月に入ってから両親が「相模原に遊びに行きたい」と突然連絡してきて、急いで新幹線や、行きたいといっていた観光バスの手配などをしました。

そして 2016/05/04(水・祝) 両親と姉が奈良県天理市からやってきました。

到着した父の姿はサングラスにピンクのジャケット。一見タモリのようです。

父です。一見タモリっぽい?
父です。一見タモリっぽい?

到着した日のランチは、横浜うかい亭です。結婚式をしたレストランなのですが、両親は結婚式以来来たことがなく、何度か「いつか連れて行け」と言われていたのを、ようやく実現しました。

横浜うかい亭でランチ
横浜うかい亭でランチ

この日は我が家に一泊し、翌日は東京観光です。

東京駅をバックに記念撮影
東京駅をバックに記念撮影

母の強い希望で、はとバスの、屋根のないオープンバスでのツアーです。東京駅南口のはとバス乗り場を出てから、霞ヶ関の官庁街、東京タワー、首都高速、レインボーブリッジ、銀座と回って戻ってくる 1 時間のツアー。途中どこにも止まらず、屋根のないバスからの眺望を楽しむだけというちょっとストイックなツアーです。

バスツアーにキャスターバッグを持っていくのはしんどいと思ってコインロッカーを探しましたが、東京駅は改札内にはそこそこコインロッカーがあるのに、改札外にあるコインロッカーは数がまったく足りておらず、見つけたロッカーはすべての区画が使用されていて、結局荷物を持ったままはとバス乗り場へ行きました。今回のバスは 1F には乗客を乗せないので、幸い、荷物は 1F で預かってもらえました。

はとバスの屋根なしオープンバスのツアーを楽しむ両親と姉
はとバスの屋根なしオープンバスのツアーを楽しむ両親と姉

はとバスの次は、巣鴨です。巣鴨まで行くのも、キャスターバッグを持っていくのは嫌だったので再びコインロッカー探しですが、やはり空きがありません。だいぶさまよって、ようやく丸の内北口地下の通路に 1 つだけ空いているロッカーを見つけて荷物を預けて、山手線で巣鴨へ向かいます。改札入ってから思い出したのですが、東京駅の改札内にはあちこちの通路にコインロッカーがあるのでした。しかも、かなり空いていました。巣鴨へ行くため改札を入るのだから、改札内のロッカーに預ければよかった… と思いましたが、もう仕方ありません。

巣鴨では、とげぬき地蔵にお参りし、マルジという赤パンツで有名な店で買い物をして、塩大福を食べて帰ってきました。

巣鴨とげぬき地蔵前の売店でお守りの品定めをする両親
巣鴨とげぬき地蔵前の売店でお守りの品定めをする両親

2 日目は、都内泊です。APA ホテル築地駅南というホテルです。泊まった場所からもわかるように、3 日目の早朝から築地市場の観光をするのが目的でした。

3 日目は早起きして 03:50am に築地に到着しましたが、楽しみにしていたマグロの競り見学は、なんと 03:00am ぐらいには定員いっぱいになってしまっていたとのこと。

仕方なく場内の岩田コーヒーという喫茶店で朝食だけ食べて帰りました。フレンチトーストがおいしかったです。

築地・岩田コーヒー
築地・岩田コーヒー

築地市場の仲買いエリアの見学は 09:00am からしかできないため、いったんホテルに戻って休憩後、09:00am に築地市場に戻って見学をしました。仲買エリアへ入ったのは初めてでしたが、よく言われるように、市場の人の中には口が悪いというか、ずっと怒っている人が何人もいて、観光客に「じゃまなんだよ」とか「見世物じゃないんだよ」とか言ってくるので、なかなか厳しい観光地です。まぁ、むこうにとっては職場なので、本当に観光客が邪魔でしょうがないんだろうなぁ、という同情もありますが…

一方で写真を撮ってよいか聞くと機嫌よく撮っていいと返事してくれる人もいます。見た感じではほとんど区別がつかないので、かなりのカオスです。

観光客は白人が圧倒的に多くて、たぶん 50% ぐらいが白人です。そしてアジア人の見かけをしている人の中、しゃべっている言葉を聞いた感じでは、中国人が 30%、日本人が 20%、その他が 10% というような感じでしょうか。ベトナムあたりの言葉だろうと思われる言葉が聞こえてくる一方で、韓国語をほとんど聞かなかったのが意外でした。

写真撮りまくりましたが、見返してみると同じような写真ばっかりであんまり良い写真はありませんでした。

マグロと、日本刀のように刃渡りの長いマグロ包丁
マグロと、日本刀のように刃渡りの長いマグロ包丁

ホテルをチェックアウトしてから東京駅へ行き、再びコインロッカー探し。前日は丸の内側でしたが、この日は八重洲側。こちらも改札外のロッカーはほとんどありませんが、ラッキーなことに最初に見つけたロッカー群がけっこう空いていて荷物を入れることができました。

両親は午後早めの新幹線で帰ってしまうので、時間的に観光できるのは 1 箇所だけです。目的地の候補の中から選んでおいた靖国神社に行ってきました。

靖国神社の参道をまとまりなく歩く母 (右端) と姉 (中央やや左の黒い服)
靖国神社の参道をまとまりなく歩く母 (右端) と姉 (中央やや左の黒い服)

父は参道の横にあるいろいろな碑などを見ては写真を撮っていました。

靖国神社で写真を撮りまくる父
靖国神社で写真を撮りまくる父

2 泊 3 日なので意外にあっという間で、もう帰りです。

帰りの新幹線は、疲れているだろうからとグリーン車にしておきました。ゆったり帰ってもらえたものと思います。

新幹線の車内から手を振る両親
新幹線の車内から手を振る両親

2016/04/19(火) READY FOR? 零戦着座撮影券行使会 at 鹿児島空港

零戦に日本の空を飛ばせたい、というプロジェクトが READY FOR? で資金集めをしていた時に、「操縦席に座って写真を撮れる撮影券」というのを購入していました。プロジェクトは成立して零戦は日本にやってきて、試験飛行も行われましたが、着座撮影券の使用方法についてはなかなか案内がなく、どうなるのかなと思っていたら、2016/04/17(日)、04/28(月)、04/29(火) の 3 日間限定で開催されることが発表されました。

1 人あたり 3 分程度でどんどん撮影するということが書かれていたので、少しでも空いている日がよいだろうと、一番人が来なさそうな火曜日を選んで、零戦着座撮影券行使会に行ってきました。

あまり説明するようなことはないと思います。写真を見てください。

場所は鹿児島空港の端の方にある格納庫です。

格納庫に入ると目に飛び込んでくる零戦の全体像
格納庫に入ると目に飛び込んでくる零戦の全体像
着座撮影会なので、このように操縦席内を撮影できます。写っている足は、もちろん私の足です。
着座撮影会なので、このように操縦席内を撮影できます。写っている足は、もちろん私の足です。
操縦席に座って振り向いた状態で、計器版を写しこんで撮ってもらいました。このような写真もお願いして撮ってもらうことができます。
操縦席に座って振り向いた状態で、計器版を写しこんで撮ってもらいました。このような写真もお願いして撮ってもらうことができます。

2016/03/06(日) Sydney 出張出発日

全社的なトレーニングプランの一環として、なぜか agile のトレーニングをサポートのメンバーに受けさせるという方針が決まりました。Sydney で開催されるトレーニングに日本のチーム内から参加するよう指名された 2 人のうちの 1 人になり、2 年ぶりに Sydney 出張に行くことになりました。

往復の飛行機は 2 年前は JAL でしたが、今回は Quantas です。Quantas の Sydney 便は少し前から成田発着から羽田発着に変更になっているので、出発空港は羽田空港です。

まずは相模大野から空港バスで羽田へ。

神奈川中央交通の空港バス・相模大野・町田→東京 (羽田) 空港
神奈川中央交通の空港バス・相模大野・町田→東京 (羽田) 空港

かなり早めのバスにしておいたので、羽田空港を見てまわります。まずは送迎デッキに上がってみました。すると R2-D2 ジェットがいました。

微妙に全体は見えない位置に駐機していた ANA R2-D2 JET
微妙に全体は見えない位置に駐機していた ANA R2-D2 JET

スミ子と一緒にハイポーズ!! 顔ハメ。ところで、スミ子って誰なんでしょう?

スミ子と一緒にハイポーズ!!
スミ子と一緒にハイポーズ!!

スターリーカフェ Starry Cafe という、プラネタリウムの付いたカフェでちょっとお茶です。このカフェに人気があるとは思っていなかったので、入口に待ち行列が出来ていたのは意外でした。

スターリーカフェの待ち行列
スターリーカフェの待ち行列

機内食は出るのですが、モスバーガーで軽く夕食です。

モスバーガーで夕食
モスバーガーで夕食

まだけっこう時間があったのですが、ここで見送りに来てくれていた妻には帰ってもらうことにして、セキュリティーを通ってしまいました。セキュリティー内ではクレジットカードの会員であることで使えるラウンジで時間つぶしです。同じクレジットカードの成田空港のラウンジはすごくショボかったので期待していなかったのですが、羽田のラウンジは成田のラウンジよりはかなりいい感じでした。まぁ、JAL のさくらラウンジには遠く及びませんが…

思ったよりいい感じだった羽田空港のクレジットカードのラウンジ
思ったよりいい感じだった羽田空港のクレジットカードのラウンジ

会社の出張規定で Sydney までの路線の時間だと、ぎりぎりエコノミーではなく、プレミアムエコノミーが使えるフライト時間があり、会社はプレミアムエコノミーのチケットを買ってくれました。

Quantas のプレミアムエコノミー席
Quantas のプレミアムエコノミー席

ちなみに、機材は Boeing 747 です。私は国際線に乗った時は、タクシーが始まる前にトイレに行くことにしているので、いきなりトイレに行きました。

747 のトイレ
747 のトイレ

そしてオーストラリアへ向け出発! オーストラリアへ行くのは 2 回目ですが、前回もこの GPS 地図の画面を見て、「え、Sydney 行くのに南南東へ行くの?」と思ってしまいました。私の頭のなかで、Sydney はなぜか南南西にあるという印象になっているからなのですが、地図を見ると南南東にあるので、これで正しいのですが、Sydney へ向かっていく飛行機が、東京から離陸して大阪の方向へ飛ばない、というのは、どうも印象に合いません。

日本からオーストラリアへ出発!
日本からオーストラリアへ出発!

しばらくして機内食が出てきました。

機内食
機内食

飛行機は夜行便なので、Sydney 到着は翌日の朝になります。出張 1 日目の旅行記としてはここまでにしておきます。

2016/02/06(土)、02/07(日) レルヒ祭 at 金谷山スキー場

日本にスキーを伝えたとされるオーストリア人、レルヒ少佐を記念したお祭り、「レルヒ祭」が、レルヒ少佐が日本人にスキーを教えた場所である金谷山の近くにあるスキー場、金谷山スキー場で毎年 2 月に開催されています。

2015 年の 2 月に、レルヒ祭とは関係なく、日本で始めてスキーが行われた地にあるゲレンデということで、金谷山スキー場で滑ってみたいと思って行ってみたのに、なんと雪が少なくてスキー場が閉まっているという悲しい出来事がありました。

2015/02/28(土) に金谷山スキー場で見た「営業休止」の悲しい掲示
2015/02/28(土) に金谷山スキー場で見た「営業休止」の悲しい掲示

2016 年こそは金谷山で滑ってみたいと、営業しているであろうレルヒ祭の日を調べて行って見ることにしました。

まずレルヒ祭前日の 2016/02/06(土) に金谷山スキー場に到着しました。この日は前夜祭が行われています。ところがスキー場の駐車場は、イベントのため入れなくなっていて、少し離れた駐車場からシャトルバスで前夜祭の会場へ行かなければなりません。「え、スキー板とかブーツはどうしたらいいの?」と思ったのですが、駐車場では何の説明もなかったため、スキーの準備をせずにゲレンデへ向かうこととなりました。

で、行ってみると、金谷山スキー場は営業中でした。

金谷山スキー場営業中
金谷山スキー場営業中

でも、板もブーツも持ってきてないので滑れません。シャトルバスに再度乗って駐車場へ用具を取りに帰ろうとも思いましたが、面倒だったので、イベントだけを楽しむことにしました。この日はなんとリフトが無料だったのに、ゲレンデで滑っている人はスノーボードをやっている中学生ぐらいの子どもが 2 人ぐらいいただけで、他のお客さんは全員飲食やライブなどのイベント会場に居ました。もったいない…

お祭りの会場にはレルヒ少佐をモデルにしたゆるきゃら「レルヒさん」が居ました。

レルヒさん
レルヒさん

地元新潟のラジオ局のアナウンサーらしき人がサインをしていたり…

地元のラジオ局のアナウンサーの方だと思います。誰かわかりません。すいません。
地元のラジオ局のアナウンサーの方だと思います。誰かわかりません。すいません。

ライブが開かれていたり…

レルヒ祭前夜祭ライブ
レルヒ祭前夜祭ライブ

上杉謙信がいたり…

上杉謙信殿
上杉謙信殿

ちょっと痛々しい感じの犬がいたり…

たぶん秋田犬なのでしょう…
たぶん秋田犬なのでしょう…

ゲスの極み乙女。の出来損ないみたいな気持ち悪い感じのボーカルが歌うバンドが演奏したり… (ゲスの極み乙女。もそうですが、こういう見た目が気持ち悪い感じのボーカルがはやっているのですか? おっさんには付いていけません。このバンド、ドラムとギターの人はいい感じだったし、ボーカルの人も見た目の気持ち悪さとは関係なく、可能性を感じる声を持っていたのですが、ライブ中のトークがヒドいのと、実際に歌うと曲が残念… 「上手な地元のアマチュアバンドが演奏している」と現地では思っていたのですが、帰宅後に調べてみると、プロのバンドだったようです。びっくり… ご自身での作詞作曲を諦めて、専門家に作ってもらった曲を歌って、トークも誰かにプロデュースしてもらうとだいぶ良い感じになると思うのですが…)

ゲスの極み乙女。リスペクトバンドかと思ったら、違ったらしいバンド
ゲスの極み乙女。リスペクトバンドかと思ったら、違ったらしいバンド

日没後の後半のライブでは、DOZAN11 (と言ってもわからないかも知れませんが、三木道三という名前で歌っていた頃に 「Lifetime Respect」 という超ヒット曲を持つレゲエ歌手) が出てきたり…

DOZAN11
DOZAN11

と、盛りだくさんで、それなりに楽しめました。

ライブの後、スキー場のイベントらしい、松明滑降があり…

松明滑降
松明滑降

音楽に合わせて打ち上げられる花火があり…

音楽付きの花火
音楽付きの花火

前夜祭はおしまいです。

2 日目のレルヒ祭当日 2016/02/07(日) も、同じように離れた駐車場に車を停めて、シャトルバスで会場である金谷山スキー場へ向かいます。この日は、ちゃんとスキーウェアに着替え、スキー板を持って、ブーツを履いてシャトルバスに乗りました。

そして 2 年越しの念願である、日本のスキー発祥の地、金谷山スキー場でスキーを滑ることができました。

念願の金谷山スキー場で滑った!
念願の金谷山スキー場で滑った!

しかしこの時点では私は知らなかったのですが、金谷山スキー場は、実は金谷山にはなく、レルヒ少佐がスキーを教えた金谷山とは、上のゲレンデを見下ろした写真で言うと、左手の後ろの方にある山で、その山の斜面の下の方、写真の中央付近に写っている赤い屋根の建物がありますが、そのこちらから見て左手のあたりの、現在はスキー場のゲレンデの一部とはなっていないあたりであったそうです。金谷山スキー場のゲレンデで滑ったことをもって、日本のスキー発祥の地で滑ったと言えるかは、なかなか微妙な話ですね…

この日はレルヒ少佐が教えていたクラシックなスタイルのスキーである一本杖スキーのデモンストレーションが行われました。自分が普通に滑るために何本目かのリフトで上に上がった時、その一本杖スキーの滑降の準備をしている方に出会いました。

一本杖スキーデモンストレーション滑降の準備をされていた方
一本杖スキーデモンストレーション滑降の準備をされていた方

そして、実際のデモンストレーションの様子です。男女合わせて 15 人ぐらいの方が滑っていました。

一本杖スキーデモンストレーション滑降
一本杖スキーデモンストレーション滑降

一本杖スキーのデモンストレーション滑降を終えた方々と、またまた登場したレルヒさんがそろったので、記念写真を一緒に撮ってもらいました。

一本杖スキーの方々、レルヒさんと記念撮影
一本杖スキーの方々、レルヒさんと記念撮影

金谷山スキー場はリフトは 1 本だけで、コースは 3 本 (かな?) で、スキー場としては面白くはないですし、スノーマシンがないらしく、天然の雪がないとすぐに営業休止になってしまいますが、日本でのスキー発祥の地ということで、一度は行って見る価値のあるスキー場だと思いました。

2016/01/16(土) えのすい・新江ノ島水族館ナイトツアー

「えのすい」こと、新江ノ島水族館は、これまで数回ナイトツアーというイベントを実施しています。これは水族館の中に布団をひいて夜を 1 泊すごせるというイベントなのですが、これまでの開催は親子イベントとして開催されたものでした。
大人だけでも参加したいという声があったらしく今回初めて大人だけでも参加できるナイトツアーが開催されるということで、参加してきました。ただしこれまでのナイトツアーとは違い、1 泊ではなく、閉館後の夜の水族館を見れるだけで、19:45 には解散となるイベントです。

イベントは通常営業の閉館である 17:00 からなので、受付開始時刻が 15:00 と、水族館のイベントとしてはとても遅い時間です。小田急で片瀬江ノ島に到着してからも、まだ受付開始まで時間があったので、えのすいの前の片瀬西浜海岸でぶらぶらしていました。ふと見ると不自然な人だかりが… カメラマンにレフ板持ち、ガン・マイクなどが 1 人の女性を取り囲んでいて、何かの撮影をしていたようです。何の撮影かはわかりませんでした。マイクがあったのでテレビっぽいのですが、カメラはスチルカメラマンが 2 人ぐらい見えただけで、ビデオカメラらしきものは見当たりませんでした。最近はスチルカメラでも高画質のビデオが撮影できるので、一眼レフの動画機能で商用のビデオ撮影が行われていたりするらしいので、もしかしたらスチルカメラマンだと思った 2 人の一方は、ビデオを撮っていたのかも知れません。

えのすい前の片瀬西浜でなにやら撮影中
えのすい前の片瀬西浜でなにやら撮影中

太陽もかなり傾いていて、海面がきらきらしていて、なかなかいい感じです。

傾き始めた太陽にきらめく片瀬西浜沖の海面
傾き始めた太陽にきらめく片瀬西浜沖の海面

15:00 の受付後、イベントが実際に始まる 17:00 までは特にやることはないので、普通に水族館を見て回ります。イルカショーがあったので見てみました。

えのすいのイルカショー
えのすいのイルカショー

イルカショーなんて見るのは久しぶりです。イルカショーのプールは片瀬西浜を背景にしていて、海と江ノ島が見えている素敵なロケーションです。ショーが終わってしばらくすると、日没の時間になり、ボーっと太陽が沈んでいくのを眺めていました。写真ではちょっとわかりにくいですが、太陽は水平線ではなく、伊豆半島の稜線に沈んでいきます。

江ノ島を見渡すえのすいイルカショープール沖の海に沈む夕日
江ノ島を見渡すえのすいイルカショープール沖の海に沈む夕日

そして閉館の時間のアナウンスが流れ、他のお客様が出て行ったところで、ようやくナイトツアーの集合時間となりました。

えのすいの大水槽前にシートが敷かれていて、そこに靴を脱いであがって、座って水族館の方の話を聞きます。エサは魚の種類によらず同じであるとか、水族館の魚はけっこう運動不足なので太ってしまうとか、興味深い話を色々聞けました。親子向けのイベントだと、この場所で最後に寝るらしいですが、今回はそれはありません。残念ですが、特に仕切りなどがないので、男女関係なく集客した大人の客を、この場所で寝かせるわけにはいかない、という感じなのでしょうか。

夜間用に少し照明を落としたえのすい大水槽前に用意されたシートに座って説明を聞く参加者
夜間用に少し照明を落としたえのすい大水槽前に用意されたシートに座って説明を聞く参加者

照明を暗めにした大水槽を正面から見ると、こんな感じです。寝てしまう魚も多いという説明でしたが、私が見ている限りでは寝ていると思える魚はいなくて、思ったほど夜っぽさはありませんでした。水族館では泳いでいるところを見た記憶がないうつぼが泳いでいたので、「夜行性で泳ぐのですか?」と聞いてみましたが、そんなことはないらしく、たまたまだったようです。

照明を落としたえのすい大水槽
照明を落としたえのすい大水槽

あとは、参加者を 2 グループに分けて、それぞれ飼育員の方に連れられて、バックヤードを含むあちこちを説明付きで見てまわります。イベント名が「ナイトツアー」なのですが、どうやら、この部分連れ歩きの部分が「ツアー」の本体だったようです。一番写真を撮りたいバックヤードは写真撮影禁止だったので、ちょっとつまらなかったです。

その後、照明がかなり暗くなった水族館を自由に見て回れる時間があります。えのすいと言えばクラゲなのでクラゲの水槽に行ってみましたが、クラゲの水槽は昼間でも暗くしてあるので全然変わりませんでした。

えのすいと言えばクラゲ
えのすいと言えばクラゲ
えのすいと言えばクラゲ。こちらのクラゲはカラフルに光ります。
えのすいと言えばクラゲ。こちらのクラゲはカラフルに光ります。

その後大水槽前に戻ってちょっとした締めの説明があり解散です。ちょっと物足りない感じがしました。やはり大人向けにも、お泊りイベントをやってもらいたいところです。

2015/12/05(土) 立命館大学情報会ホームカミングデー at 秋葉原

母校立命館大学のホームカミングデーは、通常は当然、キャンパスのある京都市、または、滋賀県草津市で行われてきたのですが、2015 年は、東京・秋葉原で行うということだったので、せっかく近くでやってくれるならと参加してみました。

何度も来たことのある秋葉原ですが、まさか母校のイベントで来ることになるとは思っていませんでした
何度も来たことのある秋葉原ですが、まさか母校のイベントで来ることになるとは思っていませんでした

会場は秋葉原駅の目の前にあるダイビルの会議施設、秋葉原コンベンションホールです。

会場の秋葉原コンベンションホール
会場の秋葉原コンベンションホール
集合写真を撮っている人を撮ってみました…
集合写真を撮っている人を撮ってみました…

卒研でお世話になった渡部透先生と、奥様です。渡部先生はすでに定年退職されていますが、まだ授業をもたれているそうです。

卒研でお世話になった渡部透先生と、渡部先生の奥様
卒研でお世話になった渡部透先生と、渡部先生の奥様

私は立命館大学に情報工学科が出来た 1 年目に入学した、いわゆる一期生です。今回のイベントに来ていた一期生は 4 名でした。

立命館大学情報工学科 1 期生の参加者で記念撮影
立命館大学情報工学科 1 期生の参加者で記念撮影

こちらは亀井先生です。

亀井先生とツーショット
亀井先生とツーショット

京都でのイベントにはなかなか行くことができないので、今後も時々このようなイベントを関東圏で開催してもらいたいものです。

2015/11/08(日) jam cafe GARDEN (光と緑の美術館のカフェ)

この日は特に予定がなく、妻とどこかにランチに行こうと話していました。

私が選んだ店は、jam cafe GARDEN というカフェです。相模原市の市内ですが、相模原市の南端にある我が家からは車で 30 分ぐらいかかるけっこう離れた場所にあります。カフェ自体は光と緑の美術館という美術館のカフェです。

光と緑の美術館
光と緑の美術館

メニューはこんな感じです。相模原らしい (?) おしゃれな感じです。

メニュー 1
メニュー 1
メニュー 2
メニュー 2
メニュー 3
メニュー 3
メニュー 4
メニュー 4

相模原らしいオシャレな店内。

jam cafe GARDEN 店内
jam cafe GARDEN 店内

食事の前にウエルカムドリンクが出てきました。グリーンスムージーというドリンクだそうです。野菜とキウイのジュースという感じでした。

ウエルカムドリンク
ウエルカムドリンク

頼んだメニューはカフェっぽく、ワンプレートランチです。

ワンプレートランチ (季節のプレート)
ワンプレートランチ (季節のプレート)

妻が頼んだメニューは、ヘルシーデリプレートです。

ヘルシーデリプレート
ヘルシーデリプレート

デザートも行ってしまいました。

黒糖きなこバナナケーキ
黒糖きなこバナナケーキ
ベイクドチーズケーキ
ベイクドチーズケーキ

コーヒーは店名がプリントされたマグカップで出てきました。

コーヒー
コーヒー

相模原らしいオシャレな、とか書いてますが、実際のところ相模原は全然おしゃれな街ではないので、この店は全然相模原っぽくありません。でも相模原にも、こんなオシャレな店もあるんです。とは言っても、この店は相模原オリジナルの店ではなく、東京の三軒茶屋に本店があり、その支店です。どうりで、都会っぽい感じなわけです。

うちからだとちょっと遠くて、そんなに何度も行けそうにはありませんが、時には行ってみたいな、という店でした。そのためには継続して営業してもらう必要があるのですが、相模原にしてはちょっとお高いので、無くなってしまわないことを祈るばかりです。

2015/10/30(金) 東京国立博物館・伊能忠敬の日本図展

東京国立博物館 (トーハク) で 2015/10/14(水) – 12/23(水) で開催されている「伊能忠敬の日本図」展を、20:00 閉館の金曜日に見に行こうと思っていて、2015/10/30(金) に早速行ってきました。

オフィスを出るのが少し遅くなり、到着したのは 19:30 頃でしたが、平成館 1F の展示室 1 室、展示点数 15 点の小規模な企画展なので、30 分あれば十分に見ることはできました。

東京国立博物館の通常展なので、当然写真撮影許可です。それどころか展示会を紹介する web ページには「ズーム付きデジカメ持参をおすすめします」と書かれています。日本中の博物館がこういう当たり前の対応をするようになってほしいものです。

展示は中図が 4 枚、大図が 3 枚、関連展示が 8 点です。以下の写真は、見栄えのする中図 4 枚です。基本的に海岸線といくつかの街道沿いだけしか測量できていないなど、現代の地図とは比べるべくもないものなのですが、当時の状況を考えれば、どれも素晴らしい地図です。

日本沿海輿地図 (中図) 北海道東部
日本沿海輿地図 (中図) 北海道東部
日本沿海輿地図 (中図) 北海道西部
日本沿海輿地図 (中図) 北海道西部
日本沿海輿地図 (中図) 九州北部
日本沿海輿地図 (中図) 九州北部
日本沿海輿地図 (中図) 九州南部
日本沿海輿地図 (中図) 九州南部

細かい部分を単眼鏡で見ても、破綻がなく、非常によくできています。以下の写真は北海道東部の中図の、野付半島付近をズームして撮影したものですが、測量と製図の目標とした地形への方向を示す補助線なども大きくして見るとよくわかります。

日本沿海輿地図 (中図) 北海道東部・野付半島付近の拡大
日本沿海輿地図 (中図) 北海道東部・野付半島付近の拡大

展示で他に面白かったのは、関連展示にあった坤輿万国全図屏風です。ヨーロッパ人が中国で描いた地図を江戸時代に模写して日本語で地名などを書き入れたもののようですが、当時のヨーロッパの世界観を現しています。

坤輿万国全図屏風 (伊能忠敬の地図ではありません)
坤輿万国全図屏風 (伊能忠敬の地図ではありません)

この地図に私が興味を惹かれたのは、南北アメリカがまぁまぁ悪くない形で描かれているのに、オーストラリアが影も形もないことです。大西洋という大きな壁 のあるアメリカ大陸にたどり着いていたヨーロッパの船隊が、島伝いに行けば相対的に容易にたどり着いたであろうオーストラリアを知らなかったのだろうか? という疑問があったからです。Wikipedia を見て見ると、アメリカ大陸はコロンブスにより 1492 年に「発見」されていますが、オーストラリアが発見されるのは 1606 年なので、100 年ほど後のことです。この地図自体は 1606 年以降に描かれていますが、この地図が模写の対象としている Matteo Ricci の地図が描かれたのは 1602 年とされているので、その時点では、オーストラリア大陸の存在は知られていなかったということになります。東南アジアの南の方に、文字の書かれた、現代の 知識であえて言えば南極大陸から北に伸びた半島のようなものがあります。この模写をした人はおそらくここを地形の一部とは思っていないのではないかと思い ますが、元になった Matteo Ricci の地図ではもう少し地形っぽく描かれています。その時点では、そこに何らかの土地があることは知っていたものの、周囲を海に囲まれた大きな島、つまり、1 つの独立した大陸であるという知識がなく南方にある未知の島 (南極大陸) の半島だと考えられていたのではないかと思いました。

東京国立博物館での伊能忠敬の日本図展は昨 2014 年に引き続き、今回で 2 回目です。前回も見たのですが、展示されている地図はすべて異なるので、今回も見ごたえがありました。来年もおそらく弟 3 回が開催され、また別の伊能図が展示されると思うので、また見に行こうと思います。

2015/09/21(月・祝) ママチャリ座間グランプリ参戦

昨 2014 年に第 1 回が開催されたママチャリ座間 GP というイベントがあります。昨年は大会が終わったニュースで開催を知ったため参加することができませんでした。その時以来、「来年 (つまり今年 2015 年) は参加するぞ」と意気込んでいたのですが、ちゃんと参加者募集のニュースを見つけることができて、2015/09/21(月・祝) に行われたレースに参加することができました。

ママチャリは 7、8,000 円ぐらいで売っている激安自転車を買って参加しようと思っていたのですが、妻が自分の自転車を使えばよいと言ってくれたため、妻の愛車「ケロ蔵」号での参加となりました。

ゼッケンは耐候性のあるものを自分で作って、前かごに付けていかなければならないルールなので、A4 の紙にゼッケン番号 8 番とチーム名「スワンボート 0 号」の文字をプリントして、それをビニール袋に入れ、ビニール紐を四隅につけて作成しました。今年は天気は晴れのち曇りで雨は降らなかったのですが、実際に雨が降ってたら、本当に「耐候性」がこのゼッケンにあるのかどうかは疑わしい限りです。

ゼッケン作成中
ゼッケン作成中

車検では、サドルの位置を (あえて漕ぎにくいように) 一番下まで下げられて、計測器をガムテープで取り付けられます。

準備のできたケロ蔵号、今日に限っては、「スワンボート 0 号」号と表彰台前で記念撮影してみました。

準備のできた自転車と表彰台前で記念撮影
準備のできた自転車と表彰台前で記念撮影
準備のできた自転車と表彰台前で記念撮影
準備のできた自転車と表彰台前で記念撮影

仮装で参加するチームの何組かいます。MEGMILK のチームは、自転車を牛乳パック型にして参戦しようとしていました。

MEGMILK チームの牛乳パック型自転車
MEGMILK チームの牛乳パック型自転車

しかし、練習中に牛乳パックの飾り自体は壊れてしまったらしく、レースの時には、普通のママチャリの姿となって参加していました。牛乳パックがレースを走るシーンを見たかったのに残念です。

このイベント、本当は交通安全教室が本来のイベント主旨で、ママチャリグランプリは、その併催企画にすぎません。安全教室に向けて、神奈川中央交通 (かなちゅう) のバスも来ていました。かなちゅうのゆるキャラねずみの「かなみん」の着ぐるみも来ていたので、ツーショットを撮ってもらいました。

かなみんとツーショット
かなみんとツーショット

ざまりんも居ました。

ざまりんとツーショット
ざまりんとツーショット

実際の交通事故をスタントマンが目の前で演じて、事故の危険、事故の防止策などを訴える「スケアド・ストレート」というイベントもありました。ショー仕立てで演じられるのですが、事故の再現スタントの中には「そんな勢いで当たるの?」というようなものもあって、なかなか見ごたえがありました。

スケアド・ストレートによる事故再現スタント
スケアド・ストレートによる事故再現スタント

レースはもう少し大勢で参加するつもりだったのですが、誰も乗ってこなかったので、結局妻と私の 2 人だけで参加することになりました。最初私が 30 分乗り、次に妻が 5 ~ 10 分ぐらい、次に私が再度 30 分、という感じで交代しながら走ろうということにしていたのですが、妻は実際に走り出すと予定していた時間より長く走ってくれました。逆に私は 1 回連続 30 分が厳しくて、2 回目以降は 20 分ほどで交代してもらっていました。

レースには色々な人が参加しています。今回のイベントは富士スピードウェイのママチャリ GP のような全国規模のイベントではないので、参加者は関東エリア、実際にはほとんどのチームが神奈川県内からの参加でした。ところが 1 チームだけ、なんと三重県から参加している人がいました。チーム名は「チャリで来た from 三重」で、そのチーム名の通り、実際にママチャリで三重県からやってきたのだそうです。しかも後で話をうかがうと、このレースの参加のために来たのではなく、ママチャリで日本一周を目指していて、その途中に座間でのママチャリ GP 開催を知って立ち寄っただけで、これから荷物満載のママチャリで北海道を目指すのだそうです。すごいです…

「チャリで来た from 三重」チーム
「チャリで来た from 三重」チーム

私が個人的に目立ってるなぁと思っていたのは、たぶん芸者風 (?) のコスプレ仮装をしていたと思われるこちらの「チームこぴっと」です。

仮装で参加していた「チームこぴっと」
仮装で参加していた「チームこぴっと」

何か空気抵抗の大きそうな自転車になっていますが、ものすごく遅いということはなくて、けっこう淡々と順調に走っていました。

真剣に走っているチームもいくつかあります。この 32 番のチームは優勝したチームですが、かなり飛ばしてました。

優勝した 32 番「まいく べいん」チーム
優勝した 32 番「まいく べいん」チーム

座間っぽく、外人も参加してました。シュールな感じです。

ママチャリレースに参加する外人。なんというかシュール…
ママチャリレースに参加する外人。なんというかシュール…

我らがスワンボート 0 号の走りもご覧ください。

スワンボート 0 号 (ライダー: 妻)
スワンボート 0 号 (ライダー: 妻)
スワンボート 0 号でコーナーを責める (ライダー: 奥村)
スワンボート 0 号でコーナーを責める (ライダー: 奥村)

結果ですが、139 周を走行し、参加 48 チーム中 47 位でした。ただし 1 チームは DNS (Do Not Start) なので、実際にレースに出たチームの中では最下位でした。DNS のチームの扱いが大会ルール上どうなっているのか、あるいは、ブービー賞が、正しい意味でのブービー賞なのか、日本式のブービー賞なのか、規定がよくわからないのですが、47 位でブービー賞をもらいました。麺屋みっちゃんの食事券付です。

ブービー賞をもらった…
ブービー賞をもらった…

この実際に走った中で最下位ということは、あの空気抵抗がバリバリに大きそうな仮装自転車で参加していた「チームこぴっと」より、我々は遅かったということです。途中経過では下から 4 番目ぐらいの順位に居たのが、最終結果では最下位になったというのは、明らかに 2 人で参加したことが原因でした。最初のうちは交代して休憩しているうちに体力が少しは回復して、次に走り出す最初は少し早く走れていたのですが、後半になると、交代休憩の時間だけでは全く体力が回復せず、乗り始めから遅いというヒドい状況になっていたので、ラップタイムが後半どんどん下がっていたはずです。あと、2 人しかいないためピットでの選手交代時、すべての荷物を引き渡したりしていましたし、ヘルメットも 1 つだけなので、今まで走っていた選手が脱いで、これから走る選手がかぶって、を毎回の交代時にやっていたりした時間のロスも大きかったかも知れません。

とりあえずはそれなりに楽しく参加できました。来年があるか、と言われれば、妻のご意向次第かなぁ… という感じです。